国労の歩みにかかわる写真・資料の展示室です

 戦後間もない1946年2月27日、石川県片山津で、国鉄労働組合総連合会(国鉄総連合)の結成大会が開かれました。大会では、「正当な権利を主張し、その生活権を擁護し、経済的、社会的、かつ政治的地位の向上をはかるとともに、相互扶助の正義を体得し、もって社会的責務の完遂を期そう」という「宣言」、労働条件の維持改善、最低賃金制確立などの要求事項を採択しました。

 その後、第一回中央大会は3月15日から2日間、東京で開かれ、役員の選出などを行い、この大会で発表された組合員数は、50万8656人で、国鉄全従業員の96%に達しました。

 他方、国鉄総連合の単一化の動きが具体化し、1947年6月4日、国鉄総連合は、伊豆長岡で第4回解散大会を開き、翌5日から2日間、同じ場所で、国鉄労働組合(国労)第1回結成大会が開かれました。この大会では、労働者の基本的権利の擁護、国鉄経営の民主化などを内容とする新しい綱領、宣言、規約と「働くものの生活を安定する」などを内容とする今後の運動方針を決定しました。

1.創成期の国鉄労働組合

国労結成記念の碑

以前のホームぺージ「エリア.地方機関」で使用していたこの写真のレーリーフは国鉄労働組合にとっては大きな意味があります。
1946年2月27日、石川県片山津の国鉄職員集会所で国鉄労働組合総連合は産声をあげました。 それから20年後、同地に記念碑を建て、碑文には「待望久しかりし全国鉄50万全労働者の大団結今や成る」と刻みました。 記念碑はその後JR西日本に移った集会所が立て替えのために壊されたため、現在は北陸地本玄関前に仮移設されています。

創成期の国鉄労働組合

国鉄労働組合の本部事務所は旧国鉄本社内に置かれていました。当時、組合事務所は狭かったため、全国から上京してきた組合員は最上階の8階食堂で作業をしていました。しかし、食料事情の悪いときで、昼時は、屋上の鉄道神社前で静かに本を読んだりしてすごしていました。当時の写真は皆無に等しいのですが、右の記念写真は結成直後に、屋上の鉄道神社前で撮影された創成期の本部役員の記念写真です。

2.1 ゼネスト

「16歳650円の最低基本給」の確立などを求めて13組織260万人の官公関係労働組合は、1947.1.18に「2.1ゼネスト突入宣言」(写真)を行いました。しかし、中労委あっせんが不調に終わった1月31日、GHQのマッカーサー最高司令官が午後5時にスト中止を正式に命令。午後9時に伊井共闘議長、土橋全逓委員長、鈴木国鉄総連委員長がスト中止放送を行ってスト態勢は解除され、共闘も全闘も解散となりました。(写真集「新橋支部の闘い28年」から)

指令0号

1949年7月12日、国鉄本社と地方局は、鈴木市蔵副委員長、高橋儀平書記長など中央闘争委員17名、中央委員47名を定員法により解雇しました。この中で開かれた7月21日の中央闘争委員会では、民同派が被解雇中闘を認めないという態度をとったため、中央闘争委員会は分裂状態に入りました。翌22日、民同派中闘連絡会は、被解雇者を除外して中央委員を招集する指令を発しました。発するにあたり、「将来2度とあってはならない」として指令番号は「0」が書き込まれました。(右は原文)
歴史上幸いであったのは、この指令にはじまる動きは組織分裂にはつながらなかったことでした。

1947年 12月
 暮れに入ると、生活補給金などの仲裁裁定の完全実施を求めてハンガーストライキが取り組まれました。(写真集「新橋支部の闘い28年」から)

2. 記録写真で見る国鉄労働組合

敗戦後最初の国鉄ストライキ(郡山工機部)

1945年12月3-6日、郡山工機部の労働者は当局に賃金5倍化などの要求を提出してストライキを決行、組合を結成した。

国鉄総連合第1回中央大会

1946年2月27日、石川県片山津の国鉄厚生寮で国鉄労組総連合結成大会が開かれ、3月15日~16日には東京・芝・飛行会館で国鉄総連合第1回中央大会が開かれた。(写真)

国鉄総連合結成の頃の中央闘争委員

2.1ストを呼びかけた国鉄総連のポスター

新潟大会(国鉄労組第10回大会)

1951年6月5-8日、新潟市公会堂。採決の末、再軍備に反対し、中立堅持、軍事基地提供反対、全面講和の実現により日本の平和をまもり、独立を達成するためにたたかうなどの平和4原則を盛り込んだ「横山案」を運動方針として可決した。

スト権スト

1975年11月26-12月4日、公労協・地公3単産「スト権奪還統一スト」が行われた。ここに至る経過があり、1950年代後期から1960年代にILO87号条約批准・発効により当時、公労法4条3項が削除され団交拒否問題は解決したが、争議権は解決しなかった。このスト権ストに対して国鉄当局は、1976年2月14日202億円損害賠償訴訟を起こし、係争し1994年12月24日和解した。

国労第50回臨時全国大会

静岡県修善寺町、1986年10月9-10日。
「大胆な妥協」を決定した「当面する情勢に対する緊急方針」を賛成101票、反対183票で否決し、執行部総辞職となり六本木委員長を選出した。